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2006年 12月 08日
突然ですが引っ越してみました。
あまりパソコンに詳しくないためあれこれと苦戦しましたが どうにかここまでこぎつけました。 これからちょこちょこ修正していく予定です(汗) 新しいブログはこちらです。↓↓ http://puradaw.blog85.fc2.com/ 大切なコメントを残せずにごめんなさい。 これにこりずにまた遊びに来て下さいね。 よろしくお願いします。 2006年 12月 03日
旅と仕事の疲れでぐっすり眠っていた午前2時過ぎ。
携帯の音で目が覚めた。 こんな非常識な時間帯に電話を掛けてくる人といえば・・・・ 案の定、タイからの国際電話。 電話口からたどたどしい彼の『モシモシ~』という声。 日本人とはアクセントの違うこの『モシモシ~』が 結構私は好き。 そんな彼はある事情で電話が通じなくなっていたのだが この度めでたく開通。 それはいいとして時間を考えようね。 だけど彼はえらくご立腹。 なぜならおとといの電話で私が「国際電話カードなくなったから また明日掛けるよ」と言っておきながらすっかり忘れていたからだ。 すっかりスネモード。 こんなときの彼は気難しい男に変身し、しまいには 私が逆切れをし、それを彼がなだめるというのが いつものパターン・・・・・ 「いったいいつタイに帰って来るの?もう5ヶ月経ってるよ。 このあいだは1月に帰ってくると言ったよね?」 やばい。この会話が出るといつもめんどくさいことに。 と言うのも私はいつも「たぶん3ヵ月後ね」というような 言い方をするのだが、彼的には何月何日かはっきり聞きたいらしく 私の『たぶん』という部分をいつも聞いていない傾向にある。 私だってそりゃあタイに戻りたいけど、 海外に長期滞在するにはお金がいる。 で、今それを必死になって貯めてるところなんだけど、 そういい続けて早5ヶ月。 どうも不信感を抱いているらしい。 夜中に起されてまたその会話かぁと思いながらも 「たぶんあと3ヵ月後には戻るから」とたぶんを強調。 「何で?あと3ヶ月もかかるの?」 「だってタイに行くにはお金がかかるから」 といういつもの会話を繰り返していたら、彼からこんな言葉が。 「お金がなくても大丈夫。自分がtake careするから」 出た!タイ人が大好きな英語、take care。 一体何回この言葉を聞いただろう。 タイでは主に男が女を精神的・肉体的・金銭的に面倒を見るという 意味でかなりひんぱんに使われる言葉。 例えば恋人同士がうまくいっていない場合に 「彼は彼女をtake careしていない」というような感じで使用。 また、女を口説くときに「自分がtake careするから」という 使い方もする。 とにかく英語がほとんど喋れないタイ人でもこの言葉だけは なぜだかみんな知っていてよく使っている。 好きな人から言われれば確かにうれしいけど、私は彼の収入を 知っているし、第一結婚しているわけでもないので 財布は別々にすべきだと思っている。 それに『宵越しの金は持たない』という江戸っ子的、 悪く言えば後先考えずにお金が入ったらじゃんじゃん使うという そのばくち的な金銭感覚のみに頼るのはちょっと抵抗が・・・・・ と言うかムリ!!! 気持ちだけありがたくちょうだいします。 「とにかくタイには絶対に戻るけど、まだ日にちは言えないよ。 だって予定が変更したらまた嘘つきって言われるから。 たぶんあと3ヶ月後くらいにはタイに行くから」とたぶんを 強調した。 でも心がちょっと痛む。 彼は私と違って記憶力がよく、私がぽろりと発した言葉なんかも よく覚えている。 最初に私が半年後には戻ると言った言葉をちゃんと覚えていて くれているのかもしれない。 だけど今はまだ戻れない。こればっかりはしょうがないんだよと思う。 そんなこんなでどうにかなだめたけど、今度は 「you have new people?」なんて聞いてきた。 意味がわからなかったのだが、どうも新しい男でもできたのか という意味で使っているらしい。 このように彼の英語は微妙に間違っていることが多い。 が、最近は英語でしゃべりたい時期らしく 電話では英語がメイン。 でも間違った英語で喋られるとさらに誤解をまねくので 「私はタイ語で喋るのが好きだから、タイ語で喋ってね」と お願いした。 それとなぜだか分からないけど、彼の場合は英語で話すと 口調がきつくなるので、私的にはタイ語で話して欲しい。 で、タイ語に戻った彼。 やっぱり彼はタイ語の方がしっくりくるなぁ。 彼が英語がほとんど喋れなかったおかげで 私のタイ語の能力も飛躍的に伸びたしね。 と言っても通じないことも多いけど。私のタイ語はまだまだ 初心者なので。ごめんね。 2006年 11月 30日
![]() 予定変更で1日早く韓国より戻ってきました。 1日平均睡眠時間3時間。 1日平均食事回数1.3回。 眠すぎて地面が揺れてた。 食事はつまんだり、かっ込んだり。 あまりにお腹がすいて、気づいたらコーヒー用の 氷砂糖をバリバリと食べていた。 それもこれも仕事自体がハードだったせいもあるけど ホテルの近くにレストランや屋台、コンビニといった 必要不可欠なものが一切なかったのが痛かった。 飲む物ががなくなった私は、水道水を 飲むという暴挙に。 一泊300円の安宿でもこういうことはなかったなぁ。 しかも今回は今まで泊まったホテルの中で 間違いなくナンバーワン高級ホテルなのに! こういうところに普通に泊まれる人は、部屋の冷蔵庫から 飲み物を買えるんだろうけど、貧乏性で実際に今現在 ド貧乏の私はそれができず・・・・・。 そんなこんなの初韓国。 かなり偏った滞在経験を前提として言うならば 「日本と同じ?」 今まで私が旅した国々は、飛行機から降りると その国特有の匂いがした。 むせかえるような濃厚な匂いが 海外に来たんだと実感させてくれていた。 でも韓国は無臭だった。 キムチ臭がすると思っていたのに。 そして道行く人もどこか日本人と似た肌色と顔立ち。 またまわりは日本語を話す韓国人ばかりだったからかも。 だけど今回、たくさんの韓国人と接する機会があり、 その点はすごく良かった。 しかもみんなかなり日本語が上手で、会話もスムーズ。 久々の海外交流をしっかり楽しんできました。 そしてタイタイムやバリタイムがあるように 韓国タイムもしっかり存在していました。 でも他の国の人から見たら「ジャパンタイム」も 当然あるんだろうなぁ。 ところで今回私はよく言われました。 「日本語が上手ですね」と。 どの国へ行っても私は日本人には見られません(笑) ヤシの木と松の木が同居中。 ![]() たわわな感じ。 ![]() 寒いので当然プールは見てるだけ。 さすが高級ホテル、お庭も見ごたえありました。 ![]() 部屋にあったかわいいカップ。 ハートのくり抜き付き。 ![]() ホテルに飾られていたクリスマスツリー。 いつの間にかもうこんな季節。 ![]() 2006年 11月 23日
以前録画していた番組を今日ようやく見ることがでできた。
「泣きながら生きて」というノンフィクションもの。 私も泣いてしまった。。。。。。 中国では人々が下放政策なるものにより強制的に農村へ追いやられ そこで働かされていたということは 「ワイルドスワン」などで読んで知っていた。 このドキュメンタリーの主役である男性もそのおかしな 政策の犠牲になった人だ。 10代半ばで強制労働させられていたため、教育も 受けられずにろくな仕事にもつけずにいた彼は 一大決心をして日本へ留学することを決意。 あちこちから借金をして希望を胸に日本へ 渡ったのだけど、留学先は北海道の田舎町。 そこで働きながら勉強して借金を返済する予定だった。 でも田舎だから働き先もない。 彼は東京へと抜け出した。 不法滞在のため中国へ帰ることもできないまま いくつもの仕事を掛け持ちして独学で日本語を勉強。 いくつもの資格を取った。 全ては娘のため・・・・・・ 彼は娘を海外へ留学させるいう新たな夢を見つけた のだった。 結局彼が中国へ帰ったのは15年後。 このドキュメンタリーでは10年にわたって彼を 追いかけているので、年々彼が年を取って行くのが リアルに分かる。 途中、アメリカの大学へ向う娘がトランジットを利用して 24時間だけの親子再会を果たしたり その娘に会いに行くために彼の奥さんがこれまた トランジットを使って数年ぶりの夫婦再会を 果たしたりというようなこともあった。 でも家族と会ったのは15年間でこの2回だけ。 しかしいずれも別れ際の電車の中で必死に涙を こらえる彼の姿に思わず涙・・・・・・ 「もういいから帰りなよ」と声を掛けたくなった。 娘はアメリカで医者になることが決まり、彼も とうとう中国へ帰ることを決意。 帰国前に彼が向ったのはあの北海道の田舎へ。 そこで彼は「せっかく私達を迎え入れてくれたのに こんなことになってしまい本当に申し訳ないです」 と語っていたのが印象的だった。 こんなに苦労したのにこんなに謙虚な気持ちで いるなんて・・・・・。 そして彼は「あの頃は希望もなかった。 でも今は人生も捨てたものじゃないと思う」と続けた。 彼が言うと本当に説得力があった。 いい笑顔だった。 ナレーションは「背負った重荷に対して愚痴ひとつこぼさず ただひたすら頑張ってきた」というようなことを 言っていて考えさせられた。 与えられた環境の中でせいいっぱい生きる。 それはとても難しい。 わがままや私利私欲。それらに負けないで 自分を保って行くことは大変なこと。 久々にいいものを見たと思った。 2006年 11月 22日
今のお仕事の関係で急きょ韓国へ行くことに決定。
来週から4泊5日、ちょっくら行ってきます。 そんな私の噂を聞いたらしく例の人身売買のバイヤーこと H氏が電話をくれた。 この人はしゃべりが上手というか、人をのせて やる気にさせるのが得意(悪い意味ではなくて) だから人の上に立つのが本当にむいている人だと思う。 開口一番、「いやぁよかったじゃない。 今までの頑張りが認められたってことだよ」との お褒めの言葉をいただいた。 「本来ならオレがレクチャーしてやりたいところ だけど時間がないからなぁ。でも最後は人間性 だよ。頑張ってこいよ」 この出張に関しても金銭面で多少色をつけてくれる とのこと。ありがたや~。 次のお仕事の紹介もすでに頂いていたのだが 勤務地が遠いのと金銭面での折り合いが合わずに 辞退していた。 でもありがたいことにH氏の元上司がいる別の会社を また紹介してくれた。 「オレが本当に尊敬してる人が何人もいるところ だからいい勉強になるよ。部下のミスを責めるんじゃなくて 尻拭いをする人たちだから。 これから先、ダウさんも下に人がつくことに なってくる年齢だから、そういったことを勉強するのにも いい機会だと思うよ」とのこと。 だよね。今まではいつも上の人の指示をあおぐ 立場だった。いわれたことをこなすので 精一杯だった。 だけど今の職場では、結構人にこれやって、と 割り振ったり、アドバイスしたりすることもあったりして そんな重要性も感じていた。 もうそんな年になっちゃったんだ、としみじみ思う。 昔は会社に入ると「若いね~」と言われ、 いつも一番年下で先輩達にかわいがってもらってた。 それがいつの間にか年を重ねて、逆の立場に なりつつある。 これからは自分がそうやっていかなきゃいけない 立場なんだよなぁ。 昔『涙のバースデー事件』というのがあった。 当時私は22歳くらい。 それまで自由な社風の出版社にいた私にとって まったく畑違いの仕事で毎日必死で働いていた。 しかも私が所属したいた『経営企画室』は 会社のトップの人達と密接に関っていたので 風当たりが本当に強かった。 ある日、社長に呼ばれ「もっと頑張ってもらいたい」 と言われ途方にくれた。 「これから上場を控えているから ついてこれない者は切る」とも言われた。 事実、切られた人もいた。 くしくもその日は私の誕生日。 泣きながら残業をしていた私を同僚が(今の私 と同じくらいの年)退社後飲みに誘ってくれた。 「みんなその年頃はダウちゃんと同じだった。 いつの間にかいろんな ことができるようになっただけ。 だからいつかダウちゃんもできるようになるよ」 私は要領も悪いし、物覚えもよくないので今でも 自分の仕事に納得がいってないのだけど あんなふうに優しい言葉を掛けられるような 人間になりたいなあと思う。 とりあえず来週は初めての韓国。 どうなることやら・・・・・・・ 2006年 11月 21日
私の「daw」という名前はタイ語で星という意味。
私は星が大好き。星を見るのももちろん好きだけど あの形が好き。 で、私が本名があまり好きではないという話を していたらある人が「じゃあタイネームはダウね」と言った。 タイの夜、ビーチで波の音を聞きながら 頭上に輝く星を見ながらつけてもらった。 だから私のタイネームはダウ。(ということにしとこう) が、彼は「ダウという名前はありふれているからダメ。 おまえの名前はブワパンだ」とダメだし。 ブワパン・・・・・それはタイのワット(お寺)で お供えするピンクの蓮の花の名前らしい。 私がピンクの花が好きだということから そんな連想をしたらしいがどうも響きが悪い。 だから私はやっぱりダウがいい。 ところでタイ人は必ず本名の他にニックネームを持っている。 それは「りんご」や「黒い」や「黄色」「小さい」「大きい」「アリ」など さまざま。 はっきり言ってタイ人の名前といえばこのニックネームのこと。 本名は役所関係などでしか使われていないようだ。 そしてインドネシアの有名なビール「ビンタンビール」の ラベルは星。 インドネシア語で星はビンタンという意味なのだ。 だからビールのラベルの中でビンタンビールのが 一番大好き。可愛い★ そういえばプーケットでは星がよく見えた。 吸い込まれそうに、手を伸ばせばつかめそうに 近くにあった。 最近星を見てないなぁ。 現在ハワイ滞在中のロキちゃん。 そちらでは星はきれいですか? 2006年 11月 19日
![]() ※プーケットの繁華街バングラでのソンクラーンの様子。 朝から晩までこの状態。 実は何度か日本へ帰ろうと思っていたのだけど、ソンクラーン いわゆる水掛けまつりはどうしても参加したかったので 意地でタイに居続けていた。 でもその実態は想像をはるかに越えていた。 一言で例えるなら「寒い」 確かにタイは常夏の国。しかもこのソンクラーンの時期は その中でも最も暑い「暑季」なのだけど 1日中水を掛けられっぱなし。 しかもご丁寧に氷を投入しているため、掛けられると つい悲鳴がもれる冷たさ。 朝から晩まで狂ったように水が掛けられ、と同時にクール効果のある パウダーまでなすりつけられる始末。 とにかく人を見たら容赦なく水を掛けるのが鉄則。 この日は現地民もジップロックに荷物を入れて持ち運ぶ。 でも携帯やカメラなど水による被害は相当数あるはず。 巨大水鉄砲はまだいいとして、トラックにポリバケツを つんだ人々が走りながらバケツで水を掛けまくる。 油断してると背後から背中に水を入れられる。 道の両側では切れ目なくバケツやホースを持った人が並び 道行く人に水を掛けまくる。 バイクを運転していても容赦ないので 私はバイクごと転倒してちょっとマジギレ。 が、謝るどころか転倒した私にクールパウダーを なすりつけるほどだ。 この日は一年中で一番事故が多く またソンクラーン後は風邪を引く人が多発し 病院は大いににぎわうという・・・・・・。 この日昼間から私と相棒は友人達とバーをはしご。 ひたすら飲んで踊り水を掛けて掛けられるという饗宴に 撤していた。 服は乾く暇がなく化粧も落ちて眉毛もなくなっていた。 とにかくどこから水を掛けられるか分からないため あまり濡れたくない人は家にいることをおすすめします。 でも巨大水鉄砲を持って誰に掛けようかなと 人を物色するのは実は楽しい! ちょっとしたゲリラ気分を味わえます。 でもどんなに冷たい水を掛けられても、顔に思いっきり 水を掛けられても、道路に数人かかりで押さえつけられて 水を掛けられても怒ったらダメ。 やられたらやり返すのみ。それがソンクラーン。 来年のソンクラーンはタイの北、チェンマイに行こうと 計画中。 ここはタイ本土で一番熱狂的なソンクラーンを する場所として有名。 心してのぞまなきゃ! 2006年 11月 18日
健闘しつつも世界との差を思い知らされた日本女子に
続き男子の大会がスタート。 キャプテン・荻野。懐かしい! 私がバレー部にいた当時活躍していたっけ。 大ベテランだ。 それはともかく女子と比較してやきもきしっぱなし。 身長だってそんなに世界との差はないのに 見ているだけでどうも疲れる試合を展開。 ここに高橋みゆきがいたら、と思うことたびたび。 サウスポーのエース山本はいまいち不調みたいだし、 絶叫怪獣ことゴッツ西島の雄たけびもあまり見られず。 いったいこのチームの中心選手は誰なんだろう?? ガイチや青山のような小技のきく頭脳プレーが できる選手がいたらなぁと思ってしまう。 バレー部当時の私のポジションはセンター。 だからセンター線が活躍してるとうれしい。 昨日はともに205cmのセンター、ノブコフとヤマコフが けっこういい働きをしていたように思う。 でもセンター攻撃はレシーブがきっちりとセッターにかえらない ことには成功しない。 でも男子バレーのサーブは強烈なため、 昨日なんて4人が後ろに一列に並ぶという ポジションで対応していたけどそれでもふっとばされていた。 これが世界との実力の差なのかな。 でも強力ジャンピングサーブは決まるとサーブポイント になるけど、失敗も多い諸刃の剣。 ジャンピングサーブを失敗すると 味方からため息がもれてかなり肩身が狭い。 (失敗するならフローターでやれよ・・・・・)という 心のつぶやきがどこからか聞こえてくる。 あれは本当にいたたまれない。 今夜はプエルトリコ戦。 お願いだから落ち着いて見れる試合をしてください。 2006年 11月 17日
外人の男ってどうしてああも甘いんだろう。
今現在ハワイにいるロキちゃんのブログを見て思った。 今ではすっかりその甘さに慣れてしまったので もう日本人じゃダメなのかもな・・・・と思う。 特に私の場合「冷たい人が好き」というマゾ体質の ため付き合う男はみんな優しくなかったせいもある。 タイにいた頃、当たり前のようにされていたこと。 スメルキス。 これは首筋やら髪の毛やらに唇をつけて 鼻をくんくん鳴らして臭いをかぐ挨拶みたいなもの。 (そんなに息を吸い込んでよく酸欠にならないよ・・・・) と半ば感心していた。 あとバイクに2人乗りしている時。 運転しながら左手をこちらの左ふともとに置く。 さわさわとひざ小僧をなでたりもする。 (カブでは左手は運転に必要ないので) 当然のごとく家の中にいても密着度は高くて テレビを見ている時、お皿を洗っているときには しっかり後ろに張り付いているし。 夜にデートなんてしたらクサ~い言葉の連発。 別れ際の「I miss you」。 大嫌いな冬にむかってる今、そんな密着度や 甘さがとても恋しい。 2006年 11月 16日
![]() ※お隣に住んでいたジュリアとジョナサン。 またの名をちびっこギャング(笑) 仕事中にふとしたことからそんな話になった。 どこだと思いますか? 実はお隣の韓国らしいです。 輸出という言い方もなんだけど、実際海外へと 養子に出される子供の数が世界一多いらしい。 結構意外な話。 そして韓国ではいわゆるハーフの子供に対する 差別は根強く、どう見ても外人顔の芸能人などでも 「自分はハーフじゃない。両親とも韓国人だ」と主張する 人も多いとのこと。 ハーフという言い方はまだポジティブな言い方で 一般的には『混血児』という言い方なんだって。 そして韓国にはクリスチャンがとても多いらしい。 知らなかった。勝手に仏教系かなと思っていた。 知り合いのタイ人で、韓国との女性の間に子供が いる男がいる。 韓国人の彼女は子供を彼のお母さん(遠く離れて 住んでいる)に預けっぱなし。 生まれたてのかわいいさかりの子供を 遠く離れた夫でもない男の母親に預けるなんて、と 思っていたが、韓国でのハーフに対する根強い差別、そして 子供の輸出ナンバーワンのお国柄を思えば 全て納得。 ちなみにタイの人は子供好きな人が多いように感じる。 見知らぬ他人の子供でも普通にあやしたりしているし、 レストランでも店員がお客さんの子供と遊んだりしている。 そんな光景を見ていると、この国で子供を産むのも いいかもと思ったものだった。 実際、私の彼などはもし2人の間に子供が出来たら 自分が面倒をみるよ、などと言っていた。 タイ人の約束なのであまりあてにはできないし 実際は彼の母親が面倒をみる羽目になるのだろうが ちょっとうれしかったりして。。。。。 そしてタイは中絶が法的に許されていない国。 またいわゆる「売り子」の女性が多いので ハーフの子供はたくさん見かける。 住んでいた家のお隣さんは姉妹そろってハーフの 子供がいた。 父親の影はまったく見かけなかったけど、それなりに 幸せそうだったっけ。 子供達はタイ人と外人のいいところだけを受けついで いてとてもかわいかった。
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